はじめに
近年、科学の営みは「オープンデータ」「オープンアクセス」「オープンサイエンス」の推進とともに,かつてない可視化と国際的注目のもとに置かれています.このような環境下で,研究成果を取り巻く情報は世界中に即座に拡散し,共有・検証・引用され,時に即座に批判や疑義の対象にもなります.開かれた科学(Open Science)の時代においては、研究者一人ひとりの「研究倫理(Research Ethics)」と,研究機関・社会全体の「研究公正(Research Integrity)」がこれまで以上に重視されます.研究者の倫理意識の欠如や誤った慣習は,もはや研究者個人だけでなく,大学や国の信頼性そのものを損なう可能性があります.
科学の威厳を守る「倫理と公正」の本質
研究倫理・研究公正の基本理念は,非常にシンプルです:
科学は「誠実・再現可能・正確」であることを根幹とし、その信頼は透明性と説明責任によって担保される
これはオープン・クローズに関わらず普遍的な原理ですが,オープンな科学環境では論文情報や根拠データが公に露出しているわけであり,説明責任が問われやすくなるという点が重要です.以下のような行為は倫理違反に該当します:
- 捏造(Fabrication):存在しないデータや結果をでっちあげる
- 改ざん(Falsification):データや画像を意図的に加工する
- 盗用(Plagiarism):他者の成果を出典なく使用する
- 不適切な著者表示(ギフトオーサー,ゴーストオーサー):寄与していない者を著者に加える,あるいは貢献者を著者から外す
また,次のような倫理違反も顕在化しています:
- 多重投稿(Duplicate submission):同一または本質的に類似の論文を複数の雑誌に投稿する
- 二重投稿(Redundant publication):既発表論文を新たに投稿・出版する
- 自己盗用(Self-plagiarism):自身の既発表論文を再利用し,その事実を隠したうえで投稿・出版する1
- 利益相反の未申告:利害関係者との関係を開示しないことによるバイアスの発生
- 研究対象者への不適切対応:倫理審査の未実施による人体・動物実験,インフォームド・コンセントの欠如
- 記録管理の不備:根拠データの不適切な保存,検証不能な体制の放置
これらの行為が従来は顕在化しない,ないしは事件として発覚したとしても「内輪」で済まされていたかもしれません2.しかし,オープンサイエンス時代では社会から可視化され,批判され,記録され,追跡可能になっています.
オープンであることのリスクと研究公正への姿勢
オープンサイエンスは公共の利益,科学の進歩に寄与しますが、同時に次のような新たなリスクも顕在化させています。
1. 不正の「検出」は容易であり「拡散」も速い
- データや論文がオープンであるため、不整合や画像改ざんが即座に特定され、SNSなどで共有され得ます.専門家のチェックからだけでなく,市民からも公益通報される可能性も高まってきていると言えます.
- 不確かな疑惑の拡散や誤解の誘発も起こりやすいとも言えます.
2. 正当な誤謬と不正の境界が曖昧になる危険
- ずさんな研究態度や明らかな過失であるにもかかわらず、生成AIや各種ツールの利用に伴う誤りを「正当な誤謬であった」「意図的ではなかった」と主張し、研究者が責任回避を図る事例が生じ得ます.
- 生成AIのハルシネーションを理由として誤りの責任をAIに転嫁する不正の懸念があります.生成AIの提示する結果は再現性は今のところまだ低く、検証する側にとって立証や検証が極めて困難となります.
- 不正行為を単なるミスなどと矮小化してしまう研究文化の問題も指摘され得ます.すでに出版されたコンテンツであっても、「誤りは後から容易に修正できる」という誤解が存在し、研究の信頼性を軽視する姿勢が残っていると考えられます.
3. 著者資格に関する不適切な因習
- 時代遅れのギフトオーサー文化が依然残っています。以下の枠組みはまだ市民権を持っているとの誤解が散見されます.
- 教員と学生間の「指導=共著」
- 「講座の構成員ハイアラーキ=共著者リスト」
- 「予算の取り付け=共著入り」
- 共著者リストに名前が載っていても,都合が悪くなれば「関与していない」「勝手に出版された」と言い逃れできてしまうと思ってないでしょうか.
4. 取り下げ(withdrawal)や撤回(retraction)に対する理解不足
- withdrawal(投稿後・査読中の自主的取り下げ)と、retraction(公開後の不正や重大な誤りにより撤回)を混同している,もしくは違いの分かっていない研究者が多数存在します.※オープンアクセスに特化したことではありません.
- DOI(Digital object identifier) が付されたコンテンツは,修正や差し替えが不可である上に,公開を中止できません.erratta に対しても別のDOIが付されます.これによって,一旦DOI付きで出版したコンテンツは「無かったもの」にはできなくなります
- retraction はペナルティ扱いであり,オープンアクセス誌では論文はDOIが付されていることから,しばしば論文本体に「撤回」という透かしやマーキングを入れたうえで公開を続ける(晒す)運用を行う雑誌が多くなっています.DOIの原理的には地球が滅亡するまで晒され続けます.
5. 業績=出版数至上主義の危うさ;ハゲタカジャーナルの存在
- ハゲタカジャーナルもトップジャーナルも「出版されたもの」として弁別しない,フラットに扱う組織の評価基準が存在するようです.特に日本では「英語論文」が内容のチェックがおろそかなまま業績としてカウントされることを狙って,故意にハゲタカジャーナルに投稿する例もあります.
- ハゲタカジャーナルはたいていオープンアクセスであり,質の低い(後に嘲笑されるかもしれないレベルの)論文が,しばしば査読も行われず,容易に採録・公開されます.校正の程度・品質も低いことが多い.
- ハゲタカ誌でも取り下げ・撤回は制度として存在することもありますが,場合によってはそれらができなかったり,高額な料金を要求する悪質な雑誌も存在します.ハゲタカ誌であっても,撤回となると上記のようにマーキングが入って晒され続けると考えたほうがいいと思われます.
- 個人の業績リストはEDBで公開であるため,ハゲタカジャーナルの誌名とマッチングをかけることにより「誰が何本ハゲタカで出版しているか」を調べることは誰でも試すことができ,随時明らかになり得ます.
現場から見える「研究公正教育の未整備」
- 学位さえ取れればいい,業績数だけ稼げばいい,自分さえ良ければいい,というレベルから脱却し,「他の業績をリスペクトし巨人の肩に乗ったうえで,自分が実践した公正な科学を公衆に示す」ことの誇りを,学生・研究者皆が認識・共有すべき時代に来たと思われます.
- 研究者自身が.論文の「取り下げ」と「撤回」の意味を十分把握していない可能性があります.COPEやRetraction Watchなどの国際動向・情報は知っておく必要があります.
- 研究倫理教育が一律のe-learning受講で済まされている側面があり,若手研究者の育成において、著者資格・データ管理・適切な引用・出版倫理などが実地で教えられていない可能性もあります.
学生に研究倫理を教えるのは,指導教員の義務であり,e-learning 教材のみに頼るべきではありません.研究指導のプロセスにおいて都度,本ページの内容についても触れていただき,オープンサイエンスに対する姿勢を伝えていただきたいと思います.
ところで,学生に限らず共著者の書いた原稿は,共著者全員による入念なチェックが必要なことは言うまでもありません.また,すべからく剽窃チェックツール等にかけて,剽窃等がないかを第三者視点で検証しておくことが絶対に必要です.なお,本学においては平成29年より,博士論文には iThenticate を通すことは必須となり,また,一般の学術論文等への投稿においてもiThenticate を通すことが原則となっています.詳細は研究支援・産官学連携センターのページを御覧ください.これらの義務は保険加入と同様とお考え下さい.
「研究データ管理」と「オープン化」の重要性
研究倫理・公正を根付かせる鍵は、「責任を明示できる透明な研究フロー」の確立にあります。オープンデータやオープンサイエンスの実践はそのための手段であり、次のような点で研究の信頼性を担保します:
- 誰がどのデータをどう使ったのかを記録・説明できること(研究ノート・RDM)
- 改ざん・捏造が技術的に困難になること(生データやコードの公開)
- 疑義に対して建設的に応答できる土壌が整うこと(透明性と対話)
これは単に「開く」ことではなく、誠実な科学の実践として「閉じた状態でも倫理を守る」力を可視化するプロセスにほかなりません。
生成AIの光と影
生成AIはすでに,研究活動には不可欠なツールになりつつあります.利用により研究の推進や効率化,結果の客観性担保,検証,文章のブラッシュアップなどに期待が集まる反面,出力文面中には,ハルシネーションによる誤謬・もっともらしいウソが混入する可能性は現状では排除できません.また,生成AIに入力されているデータソースにかかる著作権,プライバシー問題もまだクリアにはなっていません.これらはその生成AIを利用する(研究倫理を理解しているであろう)研究者・学生に責任および注意義務があると考えられます.データがどのように処理されるかを鑑みず生成AIにを入力したり,生成AIの出力結果を無反省に研究方針策定や出版物に利用することは,無謀であるどころか責任放棄であり,研究倫理違反と言えます.生成AIに絡む不正の例を挙げておきます:
- パブリックな生成AIに,個人情報が大量に入ったデータを流し込んでマイニングした(法令違反)
- 生成してもらった文献リストの文献は架空であった.DOIも架空であった(捏造)
- 生成してもらったフレーズがまま,既出論文から切り出されたものであった(盗用)
- 出力された説明文には根拠がなかった.それを生成AIに指摘するとすぐ主張を取り下げ,別の案を提示してきたのでそれを採用した(根拠が薄い/架空の可能性;捏造)
- 自分の主張に都合のよいデータを自動生成してもらった,実施していない実験のデータを模擬作成してもらった(捏造)
生成AIの出力を出版物に反映させる時点で,内容の正確性・合法性・研究倫理上の責任が著者にかかります.万が一,研究成果等が生成AI利用に絡んだ不正であると告発されて,有責であると判断されたとき,現状では生成AIに責任主体を押し付けることはできず,著者のいずれか,もしくは全員が責任を取ることになります.予見不能な事故であったとか,偶発的誤謬の混入を主張して責任を減免させることはできないと考えておきましょう.
むすび
オープンサイエンスとは,社会とつながる科学であり,同時に,科学の内部の規律を可視化する機会でもあります.大学研究者はこの両義性を理解し,研究倫理と公正を形式で終わらせず,実践知として継承・指導していく使命を担っています.それは、単なる「正しさ」の話ではなく、「科学とは何か」という問いに答え続ける態度そのものである,ということを,私たちは後進にも伝えていかねばなりません.
参考文献
- 粗悪雑誌と業績評価,上田哲史,附属図書館コラム,Mar. 2021. DOI: 10.15000/115857
関連リンク
- JST研究倫理教育映像教材 研究者の方はぜひ御覧ください
- JST研究公正ポータル
- 剽窃・盗用チェックツール iThenticate 徳島大学教職員は申込みのうえ,利用できます
- COPE (Committee of Publication Ethics; 出版規範委員会)
- Retraction Watch
脚注
- 多重投稿,二重投稿,自己剽窃の3つは,期限が定められている学位申請がプレッシャーとなり,大学では多発する危険性をはらんでいます.例えば,学位申請に間に合わせるためならば,同一の内容を複数の雑誌に投稿し,最初に採録見込みの立った雑誌以外は随時取り下げればよい,などの間違った戦略を計画してしまうということもあるようです. ↩︎
- オープンアクセスによって顕在化するようにはなってきましたが,もともとは内輪では済まされない問題です.バレない限りは出版実績として数え上げられ,研究者の採用や昇進に一役買っていたのかもしれません.しかし,今後はのちのちにそれらコンテンツがオープンになったときには,人の目に留まることになり,そしりを受けることになるのではないでしょうか.オープンアクセスによりその確率は高まりました. ↩︎